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その11「有機栽培すると美味しいワインになる。」
ブドウ栽培に限らず有機栽培が注目されています。

ビオロジー、ビオディナミ、オーガニックなどいろんな表記を目にします。

そもそも、有機栽培と自然農法は、近いようで全く違うものとして考えるべきです。

私自身は慣行栽培から減農薬無化学肥料、有機栽培と取り組んできた結果、

いろんな疑問が湧いてきてトレーサビリティ、アカウンタビリティをもとにサステナビリティという方向に進んでいます。

まずは、普通に栽培できてから取り組むべき課題でしょう。

ブドウは、適応力が高くかなり過酷な条件でも実をつけてしまいます。健全でなくても美味しくなくても量が少なくても、

色が薄くても収穫できることが大きな錯覚をする要因です。

ブドウやワインほどいい訳を売り物にしている商品はありません。

また、消費者もその事を温かく見守ってくれるのでいわゆる「ゆでガエル状態」に陥りやすい業界だと思います。

ワイン醸造用ブドウ栽培の研究が進まなかった原因の一つでしょう。

国内での研究が進んでいないため、海外からの情報、技術を鵜呑みにして実践し失敗すると日本の特殊性を訴えるというだけでは明治時代と何も変わりません。

私たちが実践している小さなことの積み重ねによる技術集積以外に一歩前へ進む方法はありません。

2010年はベト病が過去最大の被害をもたらしました。天候不順が原因であれば、全てのブドウ畑に被害が及ぶ筈です。

私の管理するブドウ園では、露地栽培でほぼ前年並みの農薬散布回数(3回から6回)で完全に防除できました。

これは薬剤選択と土壌管理と樹冠管理による栽培技術の成果です。

「悪い年は良い生産者を見つけることが出来る。」という諺を思い起こします。

2010年は天候不順より農家の高齢化と栽培技術力の低迷が基本にある人災だと私は考えています。

話を元に戻しますが慣行栽培することで、病害虫、樹冠管理など栽培技術の基本を十分把握してから、次の道に進むべきです。

栽培方法を論じるのでなく、栽培目的を論じることになりかねません。

サッカーボールを蹴ることができるからと言ってセリエAでプレイすることはできません。

誰でも「有機栽培」を自由に取り組めることに基本的な問題があります。

病害虫の知識、過去の栽培方法、ボルドー液の毒性を知らずに有機栽培に取り組むとしたら

これを無謀とか無知という以外に言葉が見当たりません。

「雨が多い日本でヴィニフェラ種を露地で有機栽培しても健全なブドウが取れる保証はありませんし、

ヴィニフェラ種を普通に栽培することさえ極めて難しい。」

その12「ボルドー液は自然由来で環境に優しい。」
有機栽培は、無農薬栽培ではありません。有機JAS法、国際機関のコーデックスでも現在のところはボルドー液と石灰硫黄合剤の使用は認められています。

自然由来であってもこれらは、有機物ではなく無機化学薬品です。

植物由来の石油から作られた化学合成物質は、なぜか使うことが許されません。

猛毒でも自然由来は善、植物由来でも化学物質は悪という風に判断されています。

これは、理念ではなくむしろ内部のルールです。宗教と同様に大きな矛盾を内部に抱えながら信じている人たちをマーケットの対象にして成長してきました。

ですから有機栽培という言葉は、テロワール同様マーケティング用語だと考えています。

ボルドー液に使われる硫酸銅は、劇物で非常に危険性の高い薬品です。一般的に使用されている4-4式ボルドー液では、

100L当たり400gの硫酸銅と400gの生石灰が使われます。濃度は、125倍になります。

化学農薬の殺菌剤では1000倍から3000倍ぐらいですので125倍がいかに高濃度お分かりでしょう。当然、濃度が薄いから良いという意味ではありません。

直接散布する私にとっては、単純に3000倍の化学農薬の方が安心です。

ブドウは銅に対して比較的抵抗性がありますが、土壌中の銅濃度が高いと栽培できない植物もあります。

魚毒性も高く琵琶湖を抱える滋賀県ではかなり以前からボルドー液の散布が禁止されています。

果樹先進県ではありませんが賢明な判断だと私は思います。

「ボルド−液は、毒性も高く散布濃度の高い危険な農薬です。」

必要最低限の使用にとどめることが散布する本人と周辺環境のためになります。

その13「 剪定量と収量に相関関係がある。」
剪定量(プルーニングウエイト)と収量には、確かに相関関係があります。健全に生育し一定の樹冠を維持している場合、特に海外での垣根栽培では参考になります。

これまで、山梨県の生食用ブドウ栽培では特に議論されていません。

剪定量は、強すぎる樹勢下では増え、適正樹勢の時は明らかに減るからです。

剪定率低くし樹勢を落ち着かせても徒長傾向であれば剪定量は極端に増えることは容易に想像できます。

海外の著名な栽培家、コンサルタントの狭い世界観ではここ日本での栽培ができるはずがありません。

狭い世界観とは、地中海気候、アルカリ大地など銘醸地での経験と学術データに基づいてブドウ栽培を語っているからです。

ここでの栽培は、日本、山梨県での栽培と比較して容易であると言わざるを得ません。

「剪定量と収量、品質には相関関係がほとんど認められない。」

健全で適正樹勢の場合、剪定率を高めても剪定量は少なくなり収量が増すことは、経験上認められますが、

果たしてどれだけの適正樹勢のブドウが栽培されているかが問題です。

私たちは、この風土を変えることなどできません。

この地でしかできないブドウ栽培を実現し個性あるワインを世界に向けて発信すること以外に残された道はありません。

スタートラインに漸くたどり着いたばかりですが、ここ数年の取り組みですでに過去50年の進歩を果たしたように思います。

 その14.「クローンを使えば、良いブドウになる。」
クローン選抜、系統選抜は、育種以上に重要な栽培技術です。ブドウはその品種数が世界で10万種以上あると言われていますが、

交配、交雑による育種以外に芽条変異(枝変わり)と自生繁殖(種から育てる)により新しい品種が比較的容易に生まれるからです。

シャルドネの種を蒔くとシャルドネにならない。

自生、実生といわれますが、品種が変わることは間違いないのですが親以上の品種になることはほとんどありません。

たとえば、生食用の甲州種の種を蒔いてワイン用に選抜するということは、クローン選抜ではなく育種そのものです。

甲州種の実生品種で花粉はその近くに栽培されている品種との交配または交雑品種になります。育種とクローン選抜の違いはDNAレベルで鑑定できます。

ブドウの繁殖法は、接ぎ木、挿し木で品種固定をしますが、枝変わりもありますので特性が大きく変わることもあります。

大雑把に言うと品種特性の大きな変化を新品種、小さな変化を系統選抜と言えるでしょう。

一定の栽培技術、栽培管理、同一圃場という条件下で優秀性の認められる個体を選抜するのが、クローン選抜になります。

クローン選抜を意識しなくてもすでに100年単位でクローン選抜されてきた苗しか存在していません。

クローン選抜には、多くの年月と忍耐が求められます。育種同様に地道な努力の結晶と言ってもいいかもしれません。

クローンによる特性か樹の健全性かの見極めだけでも数年はかかります。

各農場別に地道に選抜し、残されたクローンを地域単位で栽培することをなお継続させることが良いでしょう。

数十年すればようやく一人前のクローンとして認められます。

同一クローンだけでの栽培でも個体差は現れますが、

複数クローンによる栽培が天候などのリスク分散と品質差による多様性に繋がるというのが一般的な考え方でしょう。

「クローンを使えば良いブドウなるとは限らない。」

その15「品種改良して良いワインをつくる」
前回に続き品種改良について話します。

より良いブドウを見つけるために、積極的な品種改良、やや消極的なクローン選抜という位置付けになります。

すでに触れていますが、栽培技術の研究が疎かになることが問題です。

作柄を天候により左右されるということを大前提にして、拙い栽培技術を正当化すると育種以外に残された道はなくなります。

育種を全面的に否定しているわけではありませんが、栽培技術が優先されることは間違いありません。

明治時代、栽培技術研究のごく初期の段階で一民間人の独断で「育種ありき」となった事で

「品種改良しないとよいブドウを育てられない。」と刷り込まれたことが現在まで影響しています。

正しい栽培技術からでは導き出せない答えが、最初から存在していたということになります。

外国での栽培技術をそのまま導入することの愚かさは、すでに指摘しましたがその応用や過去の失敗を検証することから栽培研究に取り組んできました。

一定の栽培技術の上でクローン選抜、品種改良するという基本を忘れてはいけません。

先人が早く結論を出しすぎたために私たちが一から栽培を研究する道が残されたことは、ある意味幸せなことだと思います。

こうした状況の中でブドウを観察すると健全性を見極める眼が違ってきます。

樹勢が強すぎるメタボなブドウからクローン選抜しようとは思いませんが、

健全な樹を見てクローンが違うと信じてしまいます。観察の眼を育てる最大の弊害がここにあります。

「品種改良しても良いワインになるとは限りません。その前に栽培技術を習得すべきです。」