雑感のコーナー・時々コラム

日本の農業の行方@

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日本の農業の行方@01/01/12
数年前から、農業を見直す動きが出ている。農学部も徐々に難しくなって来たり、新規に農業に参入する人たちの支援を農政が支援するようになってきた。食料自給率が、カロリーベースで40%を割り込み、輸入食品に依存せざるを得ない状況に国政レベルで改善しようと動き始めた。農村を維持する事で、農業を保護する事に限界を感じ、真剣に農業その物を保護する政策に転換した。WTO(国際貿易機構)などで農業の多面的機能についてヨーロッパとともに独自性を主張している。農業の役割が食料の安定供給だけではなく、総体的に評価すべきであると言う考えに転換してきた。

日本の農業の行方A01/01/13
農政批判をする農業関係者も多いが、それは見当違いだと思う。この国の農業を真剣に考えているのは、国の方で、農家は、自分の経営しか頭にない。農政批判する人たちは、保護政策に依存している作目の人たちがほとんどである。JAS法改正、有機農作物の表示、中山間地の所得保証、株式会社の参入など農家保護でなく農業を保護する政策に転換している。富国強兵、食料安保的な発想を出すまでもなく、自国で食糧を賄おうとするのは自然な考えである。また、食料自給率がカロリーベースで50%を目標にすると言うのは、現実的な数字でもある。本気で何とかしようという姿勢の現われでもある。

日本の農業の行方B01/01/14
農家と農村と農業は、かつては、表裏一体であった。国の政策もそのことを前提に進められていた。その結果が、米は余り、自給率も低下となったのだ。政策の変化から、農業の有り方を見つめ直す時期に来ている。高齢化、担い手不足で、GDPの2%足らずの業種に多額の資金が投入されている。国民がこの危機的状況を把握しているとは思えない。農業予算が適切に使われ、十分に農業振興に役立っているとは思えない。農家レベルで農業を経営として維持するのに、大変な状況でもある。新規参入者や農業生産法人などの育成に力を入れているが、即効性はない。たとえば、果樹なら5年、米や野菜でも3年しないと採算性のある農地には、ならないように農業は、時間がかかる。。農地の崩壊は、進んでいるし、企業が参入しても今のままでは、おそらく採算が合わないだろう。しかも、食の根源でもあり、国土を維持するなど、多面的な機能を持ち合わせているので、話は複雑になる。

日本の農業の行方C01/01/15
JAS法の改正で、農産物の原産地表示が義務付けられた。確かに単価では、割高な国産の農産物であるが、選択肢の一つとなってきた。消費者一人一人が国産の農作物を支持することから産地を振興することになる。たとえば、牛肉もその飼料は輸入に頼っているが、国産和牛は、誰もがその品質と価格に納得している。かつて、安価な輸入牛肉が解禁されたとき、国内の産地は、壊滅するといわれたものだ。平成5年の米不足の時に、国内産の米の品質の高さに気が付いた人も多いと思う。コシヒカリは、美味しいし、新潟のコシヒカリはとても美味しく、魚沼産のコシヒカリは、最高に美味しいと認知されている。だからと言って、希少な高級品だけを国産農作物の代表として、細々と生産すればいいと言うわけでもない。

日本の農業の行方D01/01/16
消費者、特に都市生活者が、国内の農作物を積極的に購入しない限り、農業の振興は、ありえない。農業を保護するために支援するのではなく、自分たちの問題として、強い意志で支持しなければならない時が来た。国民の理解が必要だがこれに頼るばかりではダメだ。農業生産サイドからの改革が最も必要なのは、言うまでもない。「消費者ニーズに合った高品質で値ごろ感もあり環境にも配慮したものを生産しなければならない。」というが、そんな事を可能にする農業技術など確立されていない。方向性は、正しいかもしれないが、いまだ消費者ニーズなどと言っているようでは、遅すぎると思う。

日本の農業の行方E01/01/17
農業に携わる者として、生産者として都市生活者に提案するような形が望ましい。農家は、横の繋がり(農家同士の連携)があり食に対する不安もさほどなく、万が一の時でも生産する農地を管理している。自給農作物のために種子を確保した方がより安全だと考える人もいるぐらいだ。平成5年の米不足の例を出すまでもなく、本当に困るのは、農地を持たない都市の人たちだ。一般的に穀物は、生産量が一割多ければ半値で、一割少なければ倍になるといわれるほど投機的である。日本全国で米を作らせる政策は、リスク分散と安定生産のため必要な事である。ただ、食生活も米依存から、大きく変化している以上、生産性を考慮しながら、ある程度は、小麦、大豆、トウモロコシ、蕎麦などに転作せざるを得ないだろう。

日本の農業の行方F01/01/18
農業保護政策が批判されることがある。農村地帯の棚田や桃の花などのいわゆる田園風景の美しさを享受しながらこの景観を維持するために税金を農業保護に使っているというコンセンサスが得られなければならない。景観以外に農業の多面的機能は、洪水などを防ぐ貯水効果なども含まれる。国際紛争が起こったり、主要生産地での天災などによる供給不安、最近では、遺伝子組換えの飼料用トウモロコシ、スターリンクの食料混用に見られる輸出制限による価格高騰など「実体のない供給」に依存している事を再認識すべきである。「実体のない供給」とは、何らかの問題が起こったとき輸出国は、一方的に輸出を制限できるのに、輸入国は、金さえ出せば安定供給されると錯覚している事である。

日本の農業の行方G01/01/19
グローバルなリスク分散を考えると、自給率100%以上を目指す必要はないが、国内での適地適作に基づくリスク分散は引き続き維持すべきである。農業技術は、育種を始め大きく進歩し生産性も飛躍的に向上してきた。人口増加、農地の砂漠化による生産性の低下などで食糧危機が想定されているが、この時、遺伝子組換えの農作物を取るか、餓死を取るかという究極の選択が、弱小国で論議される事もあるだろう。輸入に依存している国もそういった危険性と隣り合わせにいる。農業技術革新で生産性を上げることが出来たとしても、野菜工場的発想では、大地の恵みとほど遠い作物しか生産できないだろう。品種改良は出来ても、キュウリ一本さえ化学的に合成し再現する事さえ出来ないのだから。ましてや、農業ロボットによる生産など夢のまた夢である。
塩害、砂漠化などで農地喪失を食い止める事こそが最優先されるべき課題である。

日本の農業の行方H01/01/20
昨日の日経新聞上で、農水省が農家の「脱農協」を進めるという記事があった。かつては、農村、農協が農業の中心的役割を果たし、農協を通し市場流通させることで食糧の安定供給していた。これからは、農作物の販売を農協に依存せず、農家自身が自由に販売するための支援をする。
裏読みをするとこれまでの政策変更の流れから農水省は、農業の担い手として、株式会社、農業生産法人、自立農家(生産販売ができる)に農地を集積させ、高齢化の進んだ農家、退職農家、農協に依存した農家などは、そのリリーフに考えている。国産農作物を広く認知させ、早急に健全な経営体を育成し、農業を再生させようとしている。今の農家は、大きく二つに分れてゆくだろう。

日本の農業の行方I01/01/21
販売を自分でする経営体と、そうでない経営体、あるいは、生業とするか、産業とするかの選択をせざるを得ない。「景観保全、田園風景、農村文化」と「農業という産業」(産業として認知されていないが。)は、別物だということでもある。農家が農業を担うという発想自体が、否定されているのだ。自給的コミュニティーや田園生活、中高年者の帰農を否定せず、それと、農業振興は、次元が違うという事である。農業の多面的機能という発想は、まさに、混雑した中で農業の有り方を考えようという農水省の姿勢の現われでもある。食料自給率がどうしても気にかかるので、企業的な経営体を育てざるを得ない。既存の農家も、好むと好まざるに関わらず、、どちらかを選択せずには、いられない状況にある。かつては、同じ扱いであった物が、これからは別物として、その選択を迫られているのだ。深刻な事態ではなく、実は、既存の農家(或いは、新規参入者)にとって大きなチャンスの到来なのだ。

日本の農業の行方J01/01/22
厳しい時代にチャンスは訪れる。農村、農業が衰退し、各地で農地が余ってきている。この先、更に、この傾向は続くだろう。一方で、国内産農作物の潜在的な需要があるので特に減農薬栽培など、特別栽培農作物の需要と供給のバランスが崩れる。現在でも供給が間に合わず、その一方で、輸入野菜が市場を席巻しているが、二極化は、今後、強まるだろう。その間に都市住民と農業生産者の間に信頼関係を築く事ができたら、生き残れるはずである。コストを下げ、生産性を上げ環境に配慮した中で、適正価格での安定販売を目指すのは、当然であろう。将来、農業技術を企業に売る事もできるし、企業と提携することで新しい方向性も開かれるかもしれない。農業を実践している人たちの経験と技術を利用せずに、農業を活性化する事は有り得ないのだから。

日本の農業の行方K01/01/23
農業の特殊性、工業との違いは、農作物(食料)がなければ、生きていけない、つまり、衣食住の中でも食は、最も基本的で重要である。工業製品の輸出で、儲けた金で、食料は安く買えばいいなどという意見を耳にするが、開いた口がふさがらない。そういう発想をグローバル経済で捉え、永遠に平和が続くことを前提にしているとしたら、ある意味で幸せな事でもある。
実は、これは、大きな錯覚でもある。バブルがはじける前と同様に、多くの人が疑うことなく信じつづけていた幻想とどう違うのだろうか。輸入に依存した食生活は、まさに一時的な幻想である。お金さえあればモノは、手に入リ続けると思い込んでいるだけの事でしかない。

日本の農業の行方L01/01/24
飽食の時代といわれ久しいが、「泡食」の時代と言い換えた方が分りやすい。1993年の大凶作による米不足の時、備蓄米を含め、食糧の危機管理は、全く機能しなかったという事実を忘れないで頂きたい。輸入に依存していない米でさえ、米離れが進み、過剰生産されたはずの米が、たった一年の冷害であの状態になってしまった。今の食卓に並んでいる食材や、成長を続ける外食産業、国内の残飯を食糧とすると年間2000万人が食べられるという試算など私の感覚では、ただの幻想、「泡食」にしか写らない。いつまで続くのかという思いは、いつ破綻してもおかしくないということの裏返しでもある。

日本の農業の行方M01/01/25
かつて、銀行や証券会社が潰れるかもしれないと思った人は、どれほど、いただろうか。食に対する不安も募るばかりであるが、まだ、破綻していない。破綻しないように、平和的に解決できれば良いのだろうか。経済の立ち直りに10年もかかっているように、再生の道のりは遠い。まして、農業は、時間を要す。その間も食べなければ生きて行けないのだ。破綻してからでは遅すぎる事に気が付いて頂きたい。
また、食糧の輸入超過が、環境に大きな影響を与えるという視点で考えていただきたい。水、河川、海、大地を輸入された農作物の窒素、リン酸、カリなどの過剰により汚染し続けているという事実を知る必要がある。

日本の農業の行方N01/01/26
輸出国は、農地から栄養分が収奪され、農作物として輸入される。農作物として輸入された栄養分が、日本で過剰に消費され蓄積されて行く。環境問題を論ずる時に、輸入過多による国土の汚染があまり考慮されていないようにも思う。様々な論点から今の食生活、農業の有り方を考察すると、輸入農作物に駆逐され、国内の農業が衰退しては困るのは、実は農家ではなく、都市生活者であるという事になってしまう。
非常に危機的状況ではあるが、農耕民族として日本人には、緑のある生活、田園風景、家庭菜園、植木、盆栽など緑に安らぎを求めるように、DNAレベルでインプットされているように思えてならない。年齢と共にこうした思いが強くなり、食に対するこだわりも深まり、年々桜の花が待ち遠しくなって来るものだ。

日本の農業の行方O01/01/27
これから高齢化社会になり、人口も減少し、特に労働人口の減少が、社会福祉を中心に税の高負担を招き、国家の活力も徐々に衰退する。やがて、移民政策を取り外国人労働者を活用するか、生産の拠点、工場を国外に移転し、更なる空洞化を加速させ、国家存亡に向かうとも限らない。グローバル経済により、国家の意味も変わり安定的平和が保証されるというのなら、イマジンのようなユートピアの実現も有り得るが、私は、それほどの超楽観主義者ではない。
冷戦構造も終結し、ITを中心に情報の共有化が進み、新しい基準、価値観が求められているが、そもそも、グローバルスタンダードなるものはなく、アメリカンスタンダードを受入れるか否かの選択しかないと思っている。

日本の農業の行方P01/01/28
産業は、市場原理だけでなく国内政策により、発展もし衰退もする。農業を論ずると、どうしても農政、政治、国家を論ぜざるを得ない。明治以降、近代史を紐解くと、第二次世界大戦後は、当然としても、それ以前から米国の支配と影響力なしに語れない。親米か、反米か、最近では、嫌米もあるが、いずれにせよ、明治以降アメリカの傘の中にいる時代は、政治的には平和だったようだ。独自の道を歩き始めようとすると、常にアメリカの影が付きまとってきた。食糧自給率が下がりつづけて来たのもアメリカの食糧政策によるし、戦後、経済大国になったのも冷戦構造によるアメリカの反共政策によるところが大きい。敗戦国の中で、唯一、米国の間接統治下に置かれ、食糧は依存し、反共、反ソの防波堤とし、経済大国への道を進んできたのも、米国の意向であった。明治維新後の国際デビューから今まで日本の政治的アイデンティティーは、アメリカの掌の中にあったとも言える。

日本の農業の行方Q01/01/29
この国の有り方を語らずに、農政、農業を語ることは出来ない。また、米国抜きに、この国を語ることも出来ないだろう。ここで、今後どのような方向に向かうかを予測してみたい。アメリカの歴史的な好景気も終息し、日本も構造改革、行政改革などの抜本的転換期を何とか終える時が来る。もう、世界一の経済大国を目指さず、中国と競ってアジア経済圏を構築し、EU、米国の三極構造を目指すことはないだろう。これは、国力の落ちたアメリカにとって大きな脅威となり得るので、政治的に阻止されると思われる。現在ほどではないが、依然、アメリカに依存した国家である事に変わりない。大きな違いは、アメリカの影響力も落ちてくるので、より自由度が増してくる。経済大国を維持するには、人口問題、移民問題があり、大きな政策転換が出来ないだろう。
手足(労働人口)は、なくとも頭で勝負という国になる以外、生き残りは難しい。

日本の農業の行方R01/01/30
アメリカに付かず離れず、距離を置き、NO.1を目指さなければこの国の未来は、明るい。地理的要因もあるが、我々は、元来、平和的な農耕民族である。和を尊ぶというのが最大の特徴で、融和を第一にしてきた。移民先で、日本人ほどその国に同化する民族はいない。その国を日本化するより自分がその国に染まって行く方が、和を乱さないという事を知っているのだ。それは、島国で、外敵もなく、農耕を中心に組織の維持を最優先してきた民族の知恵でもある。村社会の構築は、日本人の本質的知恵でもあった。現在では、あらゆる組織においてこの日本的な感覚が弊害になっているのも事実であるが、そもそも、侵略と言う概念自体、持ち合わせていない民族が、国際デビューしてから、外の世界に初めて出会い、その特殊性をコンプレックスと感じたため、不幸な時代を過ごす事になったのだ。また、それには、もうコリゴリだと誰もが思えるのが日本人足る所以である。

日本の農業の行方S01/01/31
話を農業に戻すと、こうした側面(OからR)から、一つの方向が見え隠れする。就農及び労働力以外に農業を楽しむ人たちの存在がある。定年退職後の人たちを中心に農業を支える人材を活用すべきだ。市民農園、家庭菜園以外にも、農業を支援するシステムを作り、農繁期の労働力不足を解消し、土地生産性を高めることで、食糧自給率を上げてゆく。団塊の世代が、その大きな役割をになう事を期待している。そうすれば、農業体験と安心できる農作物を手にする事で、健康までも手に入れる事が出来るのだ。医療費負担も軽減され、循環型社会を作り上げる可能性も高まる。また、学校教育の中でも、農業体験を積極的に取り入れ、食の大切さ、収穫の喜び、安定生産の難しさを実感しながら、生命の尊さを学ぶような「食育」を充実させる。将来、国内産の農作物を選択するであろう賢い消費者と、環境に配慮し、持続できる農業に取り組む人材を育てるのに繋がるだろう。

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